四世住職 菅原 芳徳
当寺は、尾去沢鉱山の発展と共に建立された各宗の末庵を、昭和11年に統合して開寺された。
この鉱山は奈良時代の和銅元年(708)に発見されたという伝承があり、織豊期の慶長4年(1599)南部藩によって金山が開発されたことに始まり、江戸中期の寛政年間(1789~1801)には「山中家ニ百五六十戸、3,800人金掘」といわれ、別子・阿仁と並んで天下の三大銅山と称される隆盛をみ、昭和53年の閉山まで、380年間採鉱されてきた鉱山である。
鉱山労働者が増え、事故死が多発する鉱山にあっては当然宗教施設の設置が行われてきたことは論を侯たず、藩政時代に次の5庵が建立されていた。
①薬師庵-正徳4年(1714)創建。浄土宗圓徳寺末庵。
②獨楽庵-元文4年(1739)創建。曹洞宗長泉寺末庵。
③大慈庵-寛延2年(1749)創建。右に同じ。
④元光庵-明治26年(1893)創建。長年寺、恩徳寺、長福寺(曹洞宗)、圓徳寺(浄土宗)、専正寺(浄土真宗)5ケ寺の末庵。これが大正2年長年寺末庵となる。
⑤観音庵-創建年代不明。浄土宗圓徳寺末庵。
かく点在した庵寺が、大正末期に薬師庵、獨楽庵、大慈庵、元光庵が合流し、曹洞宗「大盛寺」(旧大慈庵)となる。
この大盛寺に昭和8年、二戸市龍岩寺二二世岩舘定善師の法嗣岩舘道三師が迎えられ、昭和11年獅子沢にあった薬師庵を現在地に移し、改築建立された。
昭和11年中沢鉱滓ダムが決壊し、多数の犠牲者が出る未曾有の大惨事が発生、翌12年鉱山当局によって慰霊観音堂が建立され、観世音の別称「圓通」を寺号とし、昭和17年寺院設立登記がなされ、岩舘道3大和尚が本師、二戸市龍岩寺二二世祖庵定善大和尚を開山に勧請したものである。
平成3年11月火災二より全焼、平成5年再建された。
〒018-5202 秋田県鹿角市尾去沢中沢四−二五