十七世住職  櫻田 勝心

 初め天台宗として現在地の東方、尻平野の寺屋敷に開創されたが、二世骨外髄鐡大和尚が350年程前に改宗し、萬松寺七世良室呑久大和尚を勧請して曹洞宗寺院となし、その後寛政元年(1789)に焼失したことから、現在地に再建されたと伝える。
 又、この寺には、平安末期(1150年代)作の金銅仏阿弥陀仏を伝え、さらに本尊が延命地蔵である事など、密教開創の寺伝を裏打ちしているようであり、この地が南北朝時代に安保氏の惣領の本拠地であったことを考えればかなり古い時代から寺院があったものと思われる。
 加えて、開山大和尚が慶安2年(1694)に遷化している事や、元和8年(1622)の新寺建立禁止や寛永8年(1631)の本末改めなどの幕法が相次いだ時代相を考えれば、中世期に建立され金銅阿弥陀仏を祀る密教系寺院を、時の幕法に対応すべく寛永年間(1624~1644)に改宗し開創したものと考えられる。
 以前の山号は「福用山」と称していたが、 在は「大用山」(だいゆう)と称する。変更の時点は定かではない。開基家に関して寺伝では単に「中村軍治」と伝えているが「鹿角市史」ては伽藍建立に尽くした人物として大里に知行を有した中村七之丞をあげている。しかし、この家系全体が江戸中期以後であり寛政元年の焼失時に当時当主であった七之丞が現在地再建の外護に当りいわば「中興開基」になったものと思われる。

「寺宝」
前述の閻浮檀金阿弥陀仏(市指定文化財)、名前は阿弥陀となっているが、高さ26センチ程の地蔵仏。国内発見の金銅地蔵仏では最古の物と言われる。(奈良国立博物館・松浦正昭氏)

「行事」
毎年8月7日五ノ宮皇子縁の馬頭観音供養

大徳寺
大徳寺
大徳寺

〒018-5141 秋田県鹿角市八幡平字大里40

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