二十五世住職 佐々木 孝史
本尊 釈迦牟尼仏
開創 天正8年(1580=安土桃山時代)
開山 萬松寺2世 喜庵太悦大和尚(萬松寺末)
開基 毛馬内九左衛門(瑞雲道祥居士)
「寺伝」
寺伝によれば、天正8年(1580)萬松寺2世、喜庵太悦大和尚を開山とし、毛馬内九左衛門が開基となり、毛馬内城北側三ノ丸周辺に開創し、毛馬内氏の花輪知行替えにより現在地に移転したと伝えている。
毛馬内氏の菩提寺として共に移動したことであるが、寺伝の開基九左衛門に対し史料はいずれも三左衛門直次としていることである。
この毛馬内氏は、南部氏22代政康の5男信次、後の毛馬内城主毛馬内(武田)靱負左(ゆげいのすけ)秀範を始祖とする南部氏の族臣であり、三左衛門直次は信次の3男で、その子が九左衛門長次である。
このうち三左衛門直次が、それまで毛馬内城にいた長兄毛馬内権之助政次の孫則氏が、幼少のため大湯城に移転された後の寛永20年に毛馬内城主となり、その子九左衛門長次の代、明暦3年、花輪に知行替えになったと史書が伝えている。
各史料によるところの、寺伝が開基とする九左衛門が、三左衛門直次の子、九左衛門長次とすれば、それは三左衛門直次の毛馬内入部以前に寳珠寺があったことを示し、寺伝以外の史料が三左衛門直次を開基としていることと符合する。
こうしたことから、三左衛門直次が毛馬内入りする前にすでに寳珠寺が建立されており、毛馬内入りと共に同所に移り、その子九左衛門長次の花輪城預かりの際に現在地に移転したという筋書きである。あるいは寺伝で九左衛門を開基にしていることは、この花輪移転による現在地建立時の外護者が九左衛門であったことによるものかもしれず、開創時の開基を父の三左衛門とすれば、開創年代は天正18年となりえる。
毛馬内氏によるこの地の統治は、2代17年間であったが、この間、三ケ田堰を開き杉林変じて美田となした領主への敬愛の念を込めて、この寺を“殿様寺”と呼ぶようになったものと思われる。
〒018-5141 秋田県鹿角市八幡平字三ケ田18