二十八世住職  髙田 秀法  副住職  髙田 大航

  戦国期初頭の応仁2年(1468)済庵玄思大和尚が、大湯上岱山中に開創したのに始まり、火災等によりその後現在地に移転したと伝える。
 ただ、江戸期に入ってこの開山済庵玄思大和尚の法系が不明であったことから、元禄5年(1692)十一世代に本寺と伝えられている耕雲寺に法系をただしたところ、比定すべき人物が不明であり、同寺十二世笑山厳悦大和尚を開山に勧請し、それに萬松寺の世代を合わせるよう約定がなされたことから古代開山済庵玄思、伝法開山笑山厳悦となしたと伝えられている。
 一方、開基については「鹿角市史」では柴内与五右衛門としているのに対して、寺伝では阿保親王としている。この寺伝の阿保親王は平安初期の平城天皇の第1皇子であるが、天皇が皇位を弟の嵯峨天皇に譲位した後、父上皇の内侍・藤原薬子など寵臣の朝政干渉に端を発した、「薬子の変」に連座し左遷されて皇位継承を排除され、承和9年(842)急死した不運の皇子である。しかしながらこの阿保親王が直接開創したとは考えがたい。

 鹿角四姓安保氏系柴内氏が勢カの安定した応仁時代に菩提寺を建立するに当り、始祖をしのんで阿保親王を開基と仰ぎ、新寺葛松寺の「寺院号」を追贈したとすれば「鹿角市史」との整合性は保たれる。
 下って、南部氏の時代に入リ、慶長年間(1596~1615)に住持した三世虎山玄龍大和尚が、盛岡藩第二代藩主南部利直の読書師範を努め新任極めて厚く、寺領の他に肖像画、水晶念珠、黒印、竹布袈裟等を賜リ、歴代住職も読書指南役に任じた事から、南部氏を中興開基とし、南部氏の家紋を寺門として拝領したと伝えられ鹿角最古の格式を持つ寺となっている。

萬松寺
萬松寺
萬松寺

〒018-5201 秋田県鹿角市花輪字西町187

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