二十三世住職  奈良 光英

 寺伝によれば、尾去の西の山麓、俗称「アマエダ」と称する所に平安中期藤原時代の昌泰3年(900)建立したと伝えられる堂宇があり、その堂宇を慶長18年(1613)尾去、西道口、松館の人々が協力して柴内、萬松寺三世虎山玄龍大和尚を開山に請し、現在地に長泉寺として開創したと伝えられる。
 この前身となった堂宇は口伝によれば、尾去越中守と佐藤清左衛門が建立したものと伝えられて いる。その尾去越中守は平安中期にこの地に下着し、開田農耕しながら尾去沢・長坂で金掘りをしていたが土地の 豪族佐藤清左衛門と縁組し、両家合同で子孫長久・鉱山繁栄を祈願して建立したものと伝えられている。
このようにして建立されていた堂宇が、慶長四年(1599)南部藩によって鉱山が本格的に開発されるに至り、定住者が増加したことから慶長十八年に、南部氏の信任厚い 萬松寺によって一山一寺として開創されたものと思われる。
 その後江戸時代に入り、掘子3,800人と発展していく中で、獨楽庵・大慈庵二庵の末庵をもち、尾去沢鉱山の中心的寺院として住僧を配し掘子達の霊を弔ってきたが、その中の大慈庵が鉱山道路の開発で上山に移った後、大正五年に焼失し以後、各宗合同の庵寺が建てられたという。

「伽藍」
 大正5年に焼失した後、しばらく尾去沢の豪農の家を譲り受け仮本堂にしていたが、昭和35年悲願の新築をなした法堂である。西序後方にはかつて鉱山全盛時代に、沢々にあったという3つの庵寺に祀られていた仏像が一堂に納められている。この中でも、元山の三光庵に祀られていた廚子入り観音像は、極めて貴重なものであり、位牌堂は本堂左側に昭和47年に新築されたものである。

「行事」
◎彼岸行事Ⅱ春秋の中日に先祖供養と説法、百万遍念仏行う。

長泉寺
長泉寺
長泉寺

〒018-5202 秋田県鹿角市尾去沢尾去62

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