二十六世住職 梅津 道光
戦国期の大永2年(1522)黒滝(山形県大石田町)向川寺九世春林禅冬大和尚により開創されたが建立場所は定かではない。天文5年(1536)毛馬内城主、毛馬内靱負佐秀範により、当麻館に建立され、毛馬内氏の動向に従って三転し、江戸前期、竟永20年(1643)現在地の大湯に建立、山号を「普門山」と改めた。その後北家の所領となり、明治まで北家の菩提寺となった。本堂は明和5年(1768)に大洪水で倒壊、翌年再建され、その後大正8年(1919)大修理、昭和49年(1974)位牌堂が増築・翌年には山門と鐘桜の兼ね具えた2階建ての山門が再建された。
末寺には、圓福寺(小平)正法寺 (青森県十和田市)があり、貴重な丈化財を持つ大圓寺には、近年多くの見学者が訪れてくる。
「寺宝」
「魚鼓(魚槃)」食事の際に使用される鳴し物の一種で、大きさ約140センチ、室町時代中期の作といわれ、大圓寺が修行道場として多くの雲水が集まっていた事を示す貴重なものであり、昭和52年(1977)市の丈化財に指定。
「門杉」樹齢2,000年、高さ42メートル、幹囲約9メートル、昭和30年(1955)県天然記念物に指定。
「仏頭」高さ1メートル、幅40センチの阿弥陀如来の頭部であり、 江戸中期の大洪水の際に流れついたと伝えられ胴体をつければ6メートルの大仏になる。
「弁財天座像」室町中期の作とみられる木像。
「開闢本尊観音像」平安中期の代表的仏師、定朝作で、興福寺、宇治平等院の造仏をも手掛けている。
「教化事業」
〇彼岸会〇法話〇先祖供養
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