三十三世住職 松井 直行 副住職 松井 祐司
鳳林山長年寺は、南部御三家(中野氏・北氏・八戸氏)と言われる中野氏(花輪南部氏)の菩提寺として建立されました。
遡ること500余年の室町時代、加賀(現在の石川県金沢市)宗徳寺(そうとくじ)四世太陰慧全(たいいんえぜん)禅師(長年寺開山)が衆生済度の誓願を以て奥州南部九戸へ入り、郡主九戸信仲(のぶなか)公の帰依を受けて、文亀2年(1502年)に鳳朝山(ほうちょうざん)長興寺(ちょうこうじ)を建立しました。
群衆の信心篤く寺門は栄えたと言われておりますが、天正19年(1591年)信仲公の子、九戸政実(まさざね)公の時代、三戸南部氏との不和により、九戸の乱が起こり、豊臣中央軍の加勢を得た三戸南部信直(のぶなお)公の軍勢の前に九戸一族滅亡の悲運をたどります。
一方、九戸政実公の弟、九戸康実(やすざね)公は幼少より信直公に仕え、優れた才により、高田村、片寄村、中野村(現在の岩手県紫波周辺)に領地を持ち、中野康実と称して中野家始祖となります。
九戸の乱では信直公に従い、兄政実公の暴挙をいさめると共に九戸城攻略に貢献し、功大にして信直公より褒美を賜るもこれを辞退、代わって兄政実公の遺骸、一族の位牌を受取り長興寺に厚く葬ると共に、文禄2年(1593年)長興寺五世岳翁林賀(がくおうりんが)和尚(長年寺五世)の弟子、梅岩嶺雪(ばいがんれいせつ)和尚(長年寺六世)を請して領地の紫波郡山に久保山(きゅうほざん)長岩寺(ちょうがんじ)を建立、中野家の菩提所としました。
寛永6年(1629年)中野家三代中野元康(もとやす)公の代、新たな菩提所として彦部(現在の岩手県紫波周辺)に近城山(きんじょうざん)長徳寺(ちょうとくじ)を建立します。
延宝2年(1674年)中野家四代中野康敬(やすたか)公が花輪城代となり鹿角に入ります。
この時、長岩寺、長徳寺に有った本尊、仏像、法器、中野家位牌等一切を移し、雨外楚雲(うがいそうん)和尚(長年寺十世)を請して杉沢山(さんたくさん)長年寺を建立し、これが花輪長年寺の開創になります。
後に2度ほど中野家は花輪を離れますが長年寺は移ること無く現在の地に残り、文政元年(1818年)十代中野康孝(やすたか)公の時、藩命により南部の姓と双鶴の御紋使用となり、花輪南部氏を名乗ることとなります。
長年寺は山号を杉沢山改め鳳林山とし、長興寺に始まる法燈と、花輪南部氏との繋がりを大切に守りながら現在に到っています。
自然豊かな景観と歴史を醸す大伽藍、桜と紅葉のライトアップ、鎮守稲荷神社の祭典、除夜の鐘など、1年を通して様々なイベントが行われ、檀信徒や地域の心の拠所となっています。
〒018-5201 秋田県鹿角市花輪字上花輪11
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