第二十六世住職  小田桐 昌善

本尊 釈迦牟尼仏
開創 慶安3年(1650江戸時代前期)
開山 宝珠寺四世
大蟠暾(だいばんとん)龍(りゅう)大和尚(宝珠寺末)    ※「ばん(蟠)」は生へんに番 開基 毛馬内城主毛馬内権之助
長壽院殿覺應智性大居士

鹿角が南部藩の支配下だった頃、二十二代南部藩主政康公の五男、秀範(初代)が毛馬内知行二千石を領し、慶長12年(1607)藩主の命により舘を当麻館から柏崎へ移し二代権之助政次、三代権之助政氏と毛馬内を治めます。
 その後、四代範氏が幼少で家督を継ぐに当たり大湯へ知行替えとなり、やがて開基毛馬内家は無嗣で家名断絶となります。
 萬養寺は江戸時代初期慶安3年(1650)に、三代毛馬内権之助を開基とし、宝珠寺四世大蟠暾龍大和尚を開山に迎え七滝郵便局横の墓地附近に当初創建され、約200年後の嘉永元年(1848)に現在地に移転されたと伝えられています。
 その後、幾度かの改修があり、二十四世元孝代に本堂増築に併せ、当時珍しい電気式灯明を各位牌段に備えた位牌堂の増改築も行い、昭和35年完成をしましたが、翌年類焼により伽藍全てを焼失してしまいます。 焼失後は36年庫裡、43年本堂、51年位牌堂増築と伽藍の再建に努め、整然と並んだ現在の境内墓地造営に着手する等、現在の伽藍の基盤を築いています。
 二十五世孝悦代には、平成5年に72畳の大広間を備えた新庫裡建設、駐車場整備、同11年よりの境内墓地改修整備等、時代の変化に即応した伽藍の整備が進められて来ました。  創建由来等を焼失した今、口伝や覚書き程度しか無く史実と相違する点も有りますが、1つの仮説として、大湯へ移りやがて家名断絶となる長兄の毛馬内家を愁いた開創当時に毛馬内を治めていた毛馬内三左衛門直次(初代の3男)、九左衛門長次親子が長兄の毛馬内家の名跡を残し菩提を弔う為、最後に毛馬内を領し没した権之助政氏を開基に奉り、菩提寺宝珠寺より開山和尚を勧請し萬養寺開創に至ったのかも知れません。
いずれにせよ、開創より今日に至るまで毛馬内家の菩提を弔い、館の在った柏崎からお寺までの道中、旧七滝村の入り口芦名沢へ下る途中には萬養田という地名も残され、毛馬内領地にあって毛馬内家と深い因縁で結ばれているお寺には違い有りません。

萬養寺
萬養寺

〒017-0204 秋田県鹿角郡小坂町荒谷字万谷49−1

萬養寺
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